Artist Interview

#10 中村 友美

空間へのまなざしから生まれる用と形

「いちばん初めにつくったのが、この“薬缶” です」
そう言って中村友美さんが見せてくれたのは、渋みのある色艶に経年変化した銅の薬缶。15年ほど使い込んでいるという。
「手で撫でていると艶々になるんです。だから新しい薬缶は “夜な夜な撫でてください” って言っています(笑)」
中村さんが愛おしんで育てた薬缶は、落ち着いた温もりを纏って室内に佇む。「見せられる薬缶をつくりたい」というのが、中村さんの薬缶づくりの始まりだ。薬缶は毎日使うけれど、使い終わったらそのまま放置してしまうことも多い。中村さんは、いつも目に入るものだからこそ空間に置いて美しいものにしたかった。卓上に置いて白湯やお茶を飲むだけでなく、お抹茶を点てることにも使えそうなもの。自分専用の小ぶりな薬缶があってもいいかもしれない。一つ一つサイズやデザインを考えていくうちに、気がつけば薬缶だけで20種類くらいになっていた。
「おもしろいんですよ。その人に似合う薬缶を選んでくれるから。まるでお洋服を選ぶように、自分の薬缶を選んでくれます」

中村さんはなぜ薬缶に惹かれたのだろう。
「それは金工を始めるきっかけでもあるんですけれど。ある金工家の作品に出会ったからです。とても素晴らしいお茶道具をつくられていて…」
その頃中村さんは愛知県に暮らしていた。東京の美術大学を卒業後、常滑に本社をもつ大手メーカーに就職。会社では大勢の人が関わるプロジェクトに入っていたが、自分の将来を見通せずにいた。そんな時に訪れた名古屋の「gallery feel art zero」(現:Gallery Nao MASAKI)で、自らの手でものをつくりだす人たちの作品に触れた。「美術館と違って、手に取れる距離に今を生きている人たちの作品があって。ギャラリーという場所があることを初めて知ったんですね。そこで金工家の方の作品を見て憧れたのです」
周りを見渡せば、焼き物の産地である常滑にも、たくさんの陶芸家が活躍している。
「今日考えたことを明日にでも形にできる。頭と手が一体化している。作家さんたちのそういうものづくりのサイクルに、強烈に惹かれました」

通った美大には工芸科もあったが、中村さんはインテリアデザインを専攻していて、在学中はものをつくることに全く興味がなかったという。もちろん金工に触れたこともなかった。それでも迷うことなく3年間勤めた会社を辞め、東京に戻った。「とにかく金工をやりたい一心でした」
まもなく美大の先生が鍛金を教えているという「青山彫金・金工スクール」に通って、一から鍛金の基礎を学ぶことに。鍛金というのは、金槌で金属を叩いて加工する技術のことで、金工技法の一つである。中村さんが初めてつくったという薬缶も、この頃に金槌で銅板を叩いて成形したもの。この1作目の薬缶を携えて、インテリアデザイン事務所の面接にも臨んだ。そのデザイン事務所で月曜日から土曜日まで忙しく働きながら、日曜日には金工スクールへ通った。「休みなしでヘトヘトのまま金槌を握っていました。誰に求められるわけでもないのに、自分は何をやっているんだろうと思いながら。だけど、つくり手として生きていくことを諦められなかったんです」
デザイン事務所に2年間勤めた後、2012年に奈良へ移住。本格的に作品制作を始めた。

5月に行われた個展のテーマ「純化と誇張」より。「単純化した形態と、誇張された部分がつくるバランス、余白、空間が私にとっては大事なこと」
定番の薬缶。左は15年前に初めてつくったもので、右は新品で初々しい桃色がかった肌合い。経年変化を楽しみながら育てられる。

つづきは書籍『百工のデザイン JAPAN CARAFTを巡って』へ

photo : Keisuke Osumi (panorama),
edit / writing : Noriko Takeuchi (panorama),
Interviewed in September 2023.

中村 友美なかむら ゆみ

金工家。1981年、埼玉県に生まれる。2005年、武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科インテリアデザイン専攻卒業。卒業後、愛知県常滑市に3年間住む。2008年、東京に戻り、金工を始める。インテリアデザイン事務所に勤務の傍ら、制作。2012年、奈良県に移住。本格的に制作を始める。