Artist Interview

#09 森口 信一

人の手で歴史を紡ぐ、素朴な道具

石川県加賀市の山中温泉から南西に約4キロメートル、大聖寺川沿いの国道から細い山道を上っていくと「風谷町」と書かれた古い標識が見えてくる。森口信一さんの主宰する「風谷アトリエ」は、この一本道の先にある。
「日曜日はアトリエに塾生もいるから、その時に来たらいいですよ」森口さんから聞いていた通り、アトリエに到着すると、すでに塾生の車が駐まっていた。
辺りは一面、深々と緑が連なっていて、その景色を縫うように小川が流れ、澄みきった清流にはワサビが群生している。

このアトリエに森口さんが滞在するのは、毎週土曜日から月曜日まで。展示会などの予定がない限り、京都の自宅から4〜5時間かけて車を走らせてくる。その他の日は、京都の西山高原にあるもう一つの工房へ。仕事を休むという日はほぼないそうで、来る日も来る日もひたむきに「我谷盆」と呼ばれる栗の盆を制作している。その盆のいちばんの特徴は、無垢板の木目に対して垂直方向に残す鑿跡。平行線の連なりに素朴な美しさや力強さが現れる。

我谷盆は、かつて風谷に隣接していて、1965年に我谷ダムに沈んだという我谷村で、江戸時代からつくられていた暮らしの道具である。明治・大正期に撮られたという山中温泉街の写真を見ると、木端葺きと呼ばれる薄い板で屋根を葺いた家々が、ひしめくように建っている。その屋根の板材を生産していた我谷村では、冬の積雪期に端材で自家用の盆がつくられるようになり、それが我谷盆の始まりといわれる。水に強くて腐りにくい栗を主に、松、欅なども使われたそうだ。
「今は丸太を楔で割って板にしています。“栗の割り板を生木のまま彫る” のが、昔からの我谷盆のつくり方。アトリエに習いに来る塾生に、そういうつくり方を教えています」と森口さん。

外の空き地では、森口さんと塾生が直径68センチもある栗の大木をまさに丸太から楔で打ち割るところ。この大木は樹齢60〜70年ほどで、富山県栃折の標高600メートル以上、冬は雪が積もるという風谷と似たような環境から切り出されたもの。乾燥させていない栗の生木はかなりの重量である。
これほどの大径木であっても、金かなや矢と呼ぶ鉄製の楔で割っていく。いくつもの楔をハンマーで叩いて打ち込み、ある程度のところまで割れたら、大きな楔に変えて、さらに深く打ち込んでいく。木の繊維に沿って割れが進み、最後は木製の楔を使って割り裂いた。この手工具だけを使うやり方で、丸太をいくつかの塊に分断。さらに木目や木の傷などの素性を見ながら割っていくと、形も厚みもさまざまな板になる。
こうして同じものは2つないと言われる我谷盆の素地ができていく。「“木元竹末” というのが昔からの口伝でね、木を割る時は根元の方から、竹は末(先端)の方から割ると、割れやすいし、割れた肌もきれいになるんです」と森口さんが教えてくれる。

栗の木は乾燥すると堅くなるため、割った板が水分を含んでしっとりとしている間に、荒彫りを済ませる。そのタイミングは木の状態や天候を見ながらで、荒彫りの後は、ほどよく乾燥させてから本彫りをする。
「我谷盆は彫る道具も簡単で、木槌と鑿があれば誰でも彫れます。鑿を持ったことがないという初心者でも彫れるようになりますから」と力強く語る森口さん。
気がつけば、この日は6人の塾生が出入りしていた。地元や県内の各所から集まっているそうで、アトリエに通い始めて年月の浅い人もいるし、7~8年通うベテランもいる。
森口さんは道具の使い方やポイントを説明しつつ、自分の頭で考えることの大切さを伝える。森口さん自身、長年にわたって答えのわからないところから、我谷盆のつくり方を一つ一つ自分で考えて見つけてきた。その過程がものづくりの大切な支えになっていると実感しているからだ。

右から楔で割った手板、見込みに荒彫りをしたもの、本彫りをしたもの。本彫りは左右の端から中央に向かって彫り進み、最後に中心を彫るとバランスの良い鑿跡に。
新作、何年か前のもの、使用による色艶が出てきたもの、燻煙したもの、栗渋のものなど、さまざまな佇まいがある。すべて森口さんの作品。

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photo : Keisuke Osumi (panorama),
edit / writing : Noriko Takeuchi (panorama),
Interviewed in September 2023.

森口信一もりぐち しんいち

木工家。1952年、北海道に生まれる。1977年、京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。1987年、黒田乾吉氏より拭漆を学ぶ。2000年、我谷盆の研究・制作を始める。2003~2010年、大阪成蹊大学芸術学部工芸非常勤講師。2006年、みのおものづくり表現未来塾木工コース講師。2016年、風谷アトリエを開設。1985年以来、展覧会を多数開催。