有田で日本初の磁器が誕生したのは、今から400年以上前の1610年代といわれる。その有田で最も古いとされる窯跡が、二人の自宅兼工房の傍らにある。亮平さんが「足元にある素敵なもの」と呼んだのは、この古い窯跡やそこから見えひろがるものごとのようだ。
当時の陶片を見られると聞き、二人の案内で古窯跡へ。奥まったところに、割れた器の欠片がいくつも土や草と重なるように転がっている。失敗作として使われることなく捨てられた欠片には、まだ瑞々しさの残るものもあって、とても400年以上昔のものとは思えない。
陶石という磁器の原料となる白い石を見つけたのは豊臣秀吉の朝鮮出兵で、朝鮮から渡ってきた陶工たちといわれる。それまでここでは茶色い石を砕いて唐津焼がつくられていた。良質な白い石がたくさん採れるようになると、茶色い唐津焼はつくられなくなり、有田は白い磁器の産地として発展した。古い窯跡にはその茶色と白の欠片が入り交じっている。
「よく唐津焼は陶器、有田焼は磁器といわれますが、陶器と磁器を分ける考え方は、実は明治になって持ち込まれた価値観なんです。当時の人たちにとっては材料に陶土も磁土も関係なく、おそらく茶色い石か白い石かくらいの違いだったと思います」と亮平さん。
ふだん当たり前のように思っていることも、発祥の頃まで遡ればまた違った景色が見えてくる。亮平さんとゆきさんはそういう新鮮な目で、傍らの古い窯跡をみつめるようになった。2009年頃からは、新しい目線で磁器誕生前後の古いものを調べたり写したりしながら技術を磨き、自分たちの器をつくるようになっていった。
亮平さんとゆきさんは机を並べて作業をする。原料づくりと轆轤、釉掛けは亮平さんが行って、絵付はゆきさんが行う。一般的な白磁は素焼きをしてから釉薬を掛けるが、二人は素焼きをしないで釉薬を掛ける、生掛けというやり方をしている。
「絵付は釉薬を掛ける前にします。素焼きをしないから生地が濡れていて、筆で描きやすいんです。私たちが本当に美しいと思う初期の伊万里焼には、ちょっと筆ムラがあるんですね。生地が濡れていると、何も意識しなくても自然にそういう描き方になります」とゆきさん。
二人が大切にしている初期伊万里の器を見せてもらった。少し欠けのある小さな皿で生掛けでつくられたものだ。
「やわらかいんですよね。絵が描いてあるからまず絵に目が行くんだけれど、同時に釉にも目が行くし。釉と絵と生地が一体化していて、空気感が生まれている感じがします。これはすっごい好きです(笑)」と亮平さん。
素焼きをしたものに描くとすぐに生地が水を吸い込んでしまい、水をたくさん使わないと描けない。そして水をたくさん使えば生地が均等に濡れてしまうので、この初期伊万里のような筆ムラにはならないのだとか。古い器は生掛けをしていた時期か、素焼きを始めた時期か、絵の塗り方を見ればわかるという。
「気がつけば、古い器のこういう感じの絵を描いてほしいと夫から頼まれるようになっていて(笑)。ここで暮らすうちに私も古いものについて考えるようになって、絵付のとらえ方も変わりました」
生掛けのやり方で絵付をすると、描いた絵におもしろみが出てきたそうだ。ゆきさんは絵付に合わせて、自分が使う筆の太さや筆の当て方を見つけていくことも楽しんでいる。
つづきは書籍『百工のデザイン JAPAN CARAFTを巡って』へ
陶芸家。1972年、東京都に生まれる。1998年、多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。2000年、佐賀県立有田窯業大学校短期研修修了。2006年、有田町に工房設立。2020年、有田町に割竹式土窯「小物成窯」を築く。
陶芸家。1978年、長崎県に生まれる。2000年、佐賀県立有田窯業大学校短期研修修了。赤絵付工として鍋島焼の窯元に3年間勤務。2006年、有田町に工房設立。2020年、有田町に割竹式土窯「小物成窯」を築く。