Artist Interview

#12 額賀 章夫

自由にのびやかに人とつながる造形

「ものを通じて人とつながるっていいですよね。いつも僕の原動力のひとつになっています」
額賀章夫さんは柔和な表情を湛えながら、よく通る声で話してくれる。陶芸を始めてから35年、「時代とともに、自分のものづくりをアップデートしてきました(笑)」。
そこには時の人たちとの数々の出会いやつながりがあり、新たなものづくりの始まりもあった。

東京生まれの額賀さんは、美術大学で染色を学んだ後、展示会やファッションショーなどの大道具の仕事に就いていた。
「その仕事でも十分にハッピーな気分を味わっていたんだけれど、ひとりでコツコツやる仕事への憧れがあって。笠間には、職人になりたいと思って来ました」
笠間にある茨城県の窯業指導所で学んだ後、向山窯で修業を積むことに。数物の職人だったという親方は、湯飲みや急須、飯椀などの小物を数多くつくっていた。
「世の中はバブルの頃。でも、それも知らず、住み込みで働いていました。親方の傍らで、たくさんの器をつくりながら、皮膚感覚で技術を身につけました」
弟子入りから4年が過ぎた頃、修業仲間の雅子さんとの結婚が決まって独立。当初は器に模様を絵付したり、模様を彫って色釉を掛けたりしていた。額賀さんは学生時代に、染色家・芹沢銈介の弟子だった四元貴資さんから、型染めやシルクスクリーンを学んだそうで、模様を考えることは好きだったという。
「でもね、絵付の作業が自分と相性が良くなかったんです。耐えられなくて。つくり手は、作業を自分の体質に合わせていけるじゃないですか。どういうふうに自分をやりやすくしていくかって考えた時に、自分に馴染んでいたのが、白化粧を使った仕事だったんです」

白化粧とは、生地の上に白い泥を掛けたり塗ったりすること。その上から掛ける釉薬を、当初はツヤツヤに仕上がるものにしていたが、マットな質感に仕上がるものに変えてみると、自身の好みもわかってきたという。
「自分はこういうものをつくると嬉しいんだなって。元々古いものが好きで、古伊万里やくらわんかといった古い器を持っていたんです。自分のテーブルに使った時、そういうものと合うものをつくれたらいいなって思うようになりました」 初めての個展は1995年。ハガキのDMには、白化粧を流し掛けした片口が写っている。

ちょうどその頃、額賀さんは「魯山」の大嶌文彦さんと出会う。東京・西荻窪にあった魯山は器の名店として知られ、古物や古道具も扱い、現代作家の展示会も開催していた。
「ある時、大嶌さんから “土を粗くしてみたら” って言われて。やってみたら雰囲気が変わってくるんですね。土味をどういうふうに見せていくか、いろいろな発見がありました」
大嶌さんと古いものを眺めながら話すうちに、額賀さんは学生時代によく行った日本民藝館での出来事を思い出した。
「それは僕が18歳の時。沖縄が返還されてちょうど10年で、沖縄の展示があったんです。2022年にも復帰50年記念“ 沖縄の美” という展覧会がありましたよね。民藝運動の柳宗悦たちが沖縄で目にしたのは、つくり手のものが生活に生かされて非常にうまく融合している社会。まさにユートピアではないかと。当時その展示を通して、僕にもイメージが伝わってきて、とても感動して…。そのことが生活道具に僕が惹かれていく原点にあったんです」

数物の技術を必死に学ぶ中で、一旦どこかに置いてしまった想い。そういう自分を思い出した額賀さんは、白化粧に釉薬を掛けた粉引でさまざまなチャレンジを重ねるようになった。
「土に鉄粉をたくさん混ぜたり、白化粧をひび割れさせたりしました。さらに土を変えてみたりと、やれることをいろいろやって。そうしていくうちに、“胡麻粉引” や “錆粉引” ができたんです。その表情がすごく好きでね」
薪窯に憧れはあったものの、自分のガス窯でできることをコツコツと探求して見つけ出した表情である。
「粉引はね、白化粧と釉薬が溶け合って、地の色も溶け合ったり透けて見えたり。おもしろいんですよね」

工房の棚に並ぶプリーツワークの器。手に持った時の感触がよく、さまざまなアイテムもあって、日用の楽しみがひろがる。
「プリーツワークは線の表現が魅力。線によってフォルムの中に動感が生まれる」と額賀さん。その動感が一目で伝わってくるような作品。

つづきは書籍『百工のデザイン JAPAN CARAFTを巡って』へ

photo : Keisuke Osumi (panorama),
edit / writing : Noriko Takeuchi (panorama),
Interviewed in September 2023.

額賀 章夫ぬかが あきお

陶芸家。1963年、東京都に生まれる。1985年、東京造形大学造形学部デザイン学科Ⅱ類卒業。1988年、茨城県窯業指導所ロクロ科研修生。1989年、向山窯にて修行。1993年笠間にて独立。「N Ceramic Studio」主宰。シンプルでタイムレスなデザインの焼き物を求めて制作。焼き物づくりのプロセスの中からデザインのヒントを見つけ出し、さまざまな作品スタイルに落とし込み展開している(代表例:プリーツワーク、ブロックプリント、錆粉引など)。