Artist Interview

#08 渡慶次 愛、渡慶次 弘幸

身近な素材や文化、風土とつながる仕事

塗師の渡慶次愛さんと木地師の渡慶次弘幸さんが営む「木漆工とけし」は、沖縄本島北部の名護市にある。敷地に自生する植物をそのまま生かした庭には、ミバショウやクワズイモが南国らしい葉をひろげ、建物の裏側へ下りると小川を覆うように亜熱帯の植物が色濃く茂っている。この環境の中で、二人は沖縄の身近な木を用いて日々に寄り添う漆器を制作している。

二人はそれぞれ沖縄県工芸指導所(現:沖縄県工芸振興センター)で学び、後に石川県の輪島で弟子入りしている。
「僕は空間や家具に興味があって、工芸指導所の木工コースに入ったんです。沖縄は台風やシロアリの被害に遭うので、木材加工の技術が伝統としてあまり残っていなくて…。手の道具を使える人もほとんどいなくなっているんです。それで昔から脈々と技術が受け継がれている土地で、自分も技術を身につけさせてもらいたいと思って、20代の時に沖縄を出ました」
弘幸さんはある江戸指物師に憧れ東京へ向かったそうだが、どうにも弟子入りはかなわなかった。そして先に輪島で弟子入りしていた愛さんを訪ねたことをきっかけに、鑿といった道具を使う手の仕事が学べる、輪島の桐本木工所で修業することになったという。

「私は工芸指導所の漆コースに入る前は、洋裁が好きで、アパレルの店で布小物をつくっていました。でも基本を習ったことはなかったので、布をつくるところから勉強したいなと思うようになって。そこをきっかけに工芸に興味が向いて、漆に出会ったんです。漆は、何かものを見て感動したというよりも、漆器がつくられる工程とか、しっかりとつくられた漆器は長く使い続けることができるとか、そういう漆の性質や職人仕事にすごく感動してしまって。そんなにいいものなのであれば、もっと日常に使える漆のものをつくりたいなと思ったんです」
指導所を出た後も漆を学びたいと考えた愛さんは、漆器の産地である輪島を見学。いくつかの工房を訪ね、下地職人の経験を生かした漆器づくりをしている福田敏雄さんの仕事に感銘を受けて、志願して弟子入りした。

その後、輪島で4年間修業した二人は弟子を終える年季明けを迎え、職人になったのを機に結婚した。しばらく職人として、愛さんは福田敏雄さんの他に塗師の赤木明登さんのところで、弘幸さんは桐本木工所で働いた。
「輪島は職人町だったので、人それぞれのやり方があるんです。親方や兄弟子もいて、いろんな仕事のやり方をそばで見ることができました。自分に合う方法とか、見ていただけのやり方をふとした時に思い出してやってみたりとか。今までたくさんの職人たちが築いてきた流れを自分の中に1回入れるというのは、私たちにとってはとても良くて。輪島での修行期間は宝だと思っています」と愛さん。
子どもが生まれ、そろそろ自分たちでつくってみたいと思うようになり、2010年に沖縄に戻って独立した。

左の朱は「端反り椀」。材はイジュで上塗仕上げ。右の黒は「4寸高椀」。材はクスノキで上塗の下にふわっと木目が生きている。

つづきは書籍『百工のデザイン JAPAN CARAFTを巡って』へ

photo : Keisuke Osumi (panorama),
edit / writing : Noriko Takeuchi (panorama),
Interviewed in September 2023.

渡慶次 愛とけし あい(木漆工とけし)

塗師。1979年、沖縄県に生まれる。2002年、沖縄県工芸指導所漆課研修終了。2003年、石川県輪島市にて福田敏雄氏に師事。2007年、年季明け。福田敏雄氏、赤木明登氏の両工房に勤める。2011年、「木漆工とけし」として初個展。2019年、りゅうぎん琉球漆芸技術伝承支援事業に参加。

渡慶次 弘幸とけし ひろゆき(木漆工とけし)

木地師。1980年、沖縄県に生まれる。2001年、沖縄県工芸指導所木工課研修終了。2003年、石川県輪島市にて桐本木工所に弟子入り。2010年、寒長茂氏に挽物を習う。沖縄に戻り独立。2011年、初個展。2016年、「中山木工」の活動を始める。